2013年8月12日月曜日

リマの日本語会衆

リマには日本語会衆一つと,郊外に日本語の群れがひとつあります。

その日本語会衆に交わってきました。

50名ぐらいの出席者で,半分ぐらいが日本人で,残りがペルーの日系人のようでした。
また日本語学校に通っている兄弟もいました。

兄弟たちが結構いて,年配の兄弟姉妹たちも交わっていました。
普通に日本と変わらない集会でした。ペルー人の姉妹たちの注解の声が小さいのが
印象的でした。

わたしの前に座ったていたのは,明らかに沖縄の苗字の姉妹たちだったので,
集会後に聞いてみると,おじいさんが沖縄から移住してきたとのこと,
日本語は難しいいと言ってました。西-日の辞書片手に集会に参加していました。
斜め前の姉妹のものみの塔には,漢字にふりがながふられていました。

注解も参照聖句からのものも多く,長い注解もなく,純日本という感じでした。
司会者もあまり話さず,日本的(?)でした。

王国の歌もかなり普通でした。(笑)


午前中の集会でしたが,そのまま野外奉仕にみんな行くようでした。
かなりの兄弟たちが,奉仕に参加するようでした。

マタイによる書がないとのことで,余った分をプレゼントしてきました。

わたしの方は,ホテルに戻って,荷造りをして,空港に向かい,
現在,空港内のラウンジで書いてます。

あと1時間もすれば,南米ともお別れです。

2013年8月11日日曜日

ペルーのベテルを見学

JW.orgで調べるとペルー支部が,そんなに遠くないことがわかったので,行って来ました。

公共の機関が,そちらの方向にはコレクティーボ(ミニバス)しかないのですが,これが
複雑で,目の前を何台も通りすぎるのですが,どこに行くかがよくわかりりません。

ホテルの人に聞いても,タクシーの方が良いとのことで,タクシーを呼んでもらう。
距離があるので,高いとは予想しましたが,25ソレスといわれたので,何とかバスで
行くことにしようと,もう一度ホテルの人に相談していると,先ほどのタクシーの運転手が
15ソレスまで,下げてくれたので,午前の枠に間に合うためには,時間もないので,
乗ることにしました。

ベテルの場所を伝えるが,おそらくわかっていない。
地図を見せてくれと,言われるが,おおまかな観光地図しかないので,見ても
わからないようです。

それはそうですよね。東京のようなところが,聖書サイズぐらいに書かれているものなので,
ほとんど方向ぐらいしかわからない。


方向といえば,先ほどのホテルのレセプションの人に,最初地図の向きだけでも,頭に
入れておこうと思い,北はどちらか教えてもらいました。
そうすると南はこちらで,こっちが東で,こっちが西ですね。と確認のために念をおすと,

太陽はどちらから昇るのかと聞いてきた。

最初自分が聞き間違えたのかと思い,戸惑っていたのですが,まじめに聞いているようなので、
東から昇って西に沈むと答えると,そうか東から西なのかと感心しているみたい。
一瞬,ここは南半球だから逆?‥‥なんて考えてしまいましたが,そんなわけないですよね。
でも,こちらでは南風と聞くと寒いのを想像して,北風は暖かいことなので。

リマも戻ってきてからは一日中曇り空で,太陽が顔を出さない。曇っているのか,スモッグ
なのか,わからない。それに周りはビルなので,太陽の通るコースがわからない,てことは
ないですよね。


なかなかベテルにたどりつかない。ここでしょうと連れて来られたところには石造りの巨大な
十字架がある建物。

だからテステゴスデヘホバだと言っているでしょ。普通の建物なのですが。

途中の人たちにベテルはどこか知らないかと,聞いて回ってくれてますが,「ベテル」として
知られているかどうかは,すみませんが知りません。

とうとう近くにいたパトカーに聞いたところ,パトカーがかなり近くまで先導してくれました。
グラシアス!


そしてやっとその先に,ありました支部の建物の門が。やはりペルーなので
しっかりした塀と門です。中が外からはよく見えません。


良かったと言って,20ソレス札を渡すしてお釣りを待っていると,知らないふりをしているみたい。
15ですよね、と言うと,どうやらあっちこっち行ったんだから20にしてくれみたいなことを,
言っているみたい。
それはそうですが,それはそちらの問題だからね。15ですよねともう一度強く言うと。
わかったとお釣りをよこすが,3ソルしかない。2ソルはチップでみたいな感じ。

ダメですよ。SiはSiですからと言って,それを戻して5ソル硬貨をもらいました。
パンフレットを読んでくださいねと渡してチャオ。


門番の姉妹に門を開けていただき,建物の玄関を開けて中に入り,
ロビーの受付の姉妹に11時の午前最後の見学ツアーに申込む。

英語のほうがいいですかと聞かれたので,可能であればその方がいいですと
言うと,少し待った後に,セサル兄弟(シーザーですよね。)が来てくれました。

兄弟はアルゼンチン人で,手話部門で働いてるとのこと,英語はあまり話せないのですが,
と言いながら,わかりやすい英語で案内してくれました。

160名ぐらいが奉仕しているとのことでしたが,結構大きな敷地で建物も大きかったです。
そして,どこの支部もそうですが,とてもきれいに維持されていて気持ちがいいです。
働いてる兄弟姉妹たちも笑顔で迎えてくれて,うれしかったです。

見学の途中で,このベテルに長年いる年配の日本人の姉妹にお会いしました。
ご夫婦とも,沖縄出身の両親を持つ日系2世だそうで,「こんにちは」とあいさつしてくれました。
でもすぐその後「日本語はほとんど話せません」とおっしゃってました。
(あっ,名前聞くの忘れました)

      ベテルの詳しい内容は,年鑑をご覧ください。

1時間があっという間で,午前の奉仕終了のチャイムがなってしまいました。
あれ? チャイム鳴らさなくしたんじゃなかったでしたっけ? まあいいか。

兄弟とばがり話していて,写真をとるのを忘れました。



帰りは,時間的に少し余裕があったので,少し歩いて大通りまで歩いて,コレクティーボを
つかまえて,なんとか無事ホテルの近くまで戻ってこれました。
なんと料金1ソルでした。少し歩いたとはいえタクシー代の15分の1とは。

バスの中から。フロントガラスになぜか。前のバスのガラスにも。


歩いている時に,アメリカ大使館の前を通ったので,写真を撮ろうとしたところ,警備の人に
怒られ、止められました。やっぱりダメだったか。それにしてもなんでこんなに大きいのと
思うぐらいの建物でした。東京のはそんなに大きくなかったような気が。