その中でも,特にこの町は日本人とパラグアイ人がうまく共存しているようです。
日本政府の援助もかなりあり,日本人が敬意を受けている感じがあります。
また日本人のお店は地元の方からもかなり信頼されているようです。
町中にある「田中秀穂写真館」に
入植者たちの初期の様子が,写真で展示してあります。
サボテンの大きさにびっくり,推定樹齢70年(定かではありません) |
庭にあった桜の木 花が咲いていました。 |
当時はかなりの数の日本人がいた様子がわかります。
子どもたちの数も多かったので,運動会や相撲大会の写真がありました。
大人たちも野球のチームがあり大会が開かれていたようです。
ほぼ何もなかった手付かずの土地を開拓して,町にして,その後に
徐々にパラグアイ人が住むようになったのでしょう。
昔は日本の米や綿花も栽培していたようですが,今はありません。
町を築いた偉人の胸像 1 |
町を築いた偉人の胸像 2 |
当然,その方々をはじめとする日本人の墓も郊外にあります。
それでも日本の野菜や果物などは栽培されていて,フェアなどで手に入ります。
しばらく前から,毎週土曜の午前中には町の中心の公園で即売会みたいなものが
開かれ,日本人の方が中心になって出店しています。
また図書館にはスペイン語,グアラニー語の本とともに日本語の本もあります。
かなり古い本や雑誌が多くあります。
役所の2階が図書館 |
逆さまの本がいっぱい。結構直しましたが追いつかないほど。 「永遠に生きる」本があるのわかりますか? |
公園が何箇所かに有りますが,必ずすべり台,ブランコ,シーソーがあります。
これって日本式ですよね。
日本では遊具による事故などで,無くなりつつありますが,こちらは大盛況で
最近できた公園は外灯が明るいのも関係してか,あたりが暗くなっても
賑わっています。特にブランコが人気みたいです。
大きなサボテンも金沢マスノさんのお墓も露店のOSUSIもかぼちゃも「永遠に生きる」の本も「野口英世」の本も全てが興味深い・・・日本人ってすごい
返信削除そうですね。不思議な感じです。
削除ここが日本の反対側だと思うとね。
夕方,小学生ぐらいの子どもたちが3人,道の反対側を歩いていて
すれ違ったのですが,「コンバンハー ウフフ」ってあいさつしていきました。
地元の顔立ちだったので,日本語学校に行っている子たちかもしれません。