2013年8月12日月曜日

リマの日本語会衆

リマには日本語会衆一つと,郊外に日本語の群れがひとつあります。

その日本語会衆に交わってきました。

50名ぐらいの出席者で,半分ぐらいが日本人で,残りがペルーの日系人のようでした。
また日本語学校に通っている兄弟もいました。

兄弟たちが結構いて,年配の兄弟姉妹たちも交わっていました。
普通に日本と変わらない集会でした。ペルー人の姉妹たちの注解の声が小さいのが
印象的でした。

わたしの前に座ったていたのは,明らかに沖縄の苗字の姉妹たちだったので,
集会後に聞いてみると,おじいさんが沖縄から移住してきたとのこと,
日本語は難しいいと言ってました。西-日の辞書片手に集会に参加していました。
斜め前の姉妹のものみの塔には,漢字にふりがながふられていました。

注解も参照聖句からのものも多く,長い注解もなく,純日本という感じでした。
司会者もあまり話さず,日本的(?)でした。

王国の歌もかなり普通でした。(笑)


午前中の集会でしたが,そのまま野外奉仕にみんな行くようでした。
かなりの兄弟たちが,奉仕に参加するようでした。

マタイによる書がないとのことで,余った分をプレゼントしてきました。

わたしの方は,ホテルに戻って,荷造りをして,空港に向かい,
現在,空港内のラウンジで書いてます。

あと1時間もすれば,南米ともお別れです。

2013年8月11日日曜日

ペルーのベテルを見学

JW.orgで調べるとペルー支部が,そんなに遠くないことがわかったので,行って来ました。

公共の機関が,そちらの方向にはコレクティーボ(ミニバス)しかないのですが,これが
複雑で,目の前を何台も通りすぎるのですが,どこに行くかがよくわかりりません。

ホテルの人に聞いても,タクシーの方が良いとのことで,タクシーを呼んでもらう。
距離があるので,高いとは予想しましたが,25ソレスといわれたので,何とかバスで
行くことにしようと,もう一度ホテルの人に相談していると,先ほどのタクシーの運転手が
15ソレスまで,下げてくれたので,午前の枠に間に合うためには,時間もないので,
乗ることにしました。

ベテルの場所を伝えるが,おそらくわかっていない。
地図を見せてくれと,言われるが,おおまかな観光地図しかないので,見ても
わからないようです。

それはそうですよね。東京のようなところが,聖書サイズぐらいに書かれているものなので,
ほとんど方向ぐらいしかわからない。


方向といえば,先ほどのホテルのレセプションの人に,最初地図の向きだけでも,頭に
入れておこうと思い,北はどちらか教えてもらいました。
そうすると南はこちらで,こっちが東で,こっちが西ですね。と確認のために念をおすと,

太陽はどちらから昇るのかと聞いてきた。

最初自分が聞き間違えたのかと思い,戸惑っていたのですが,まじめに聞いているようなので、
東から昇って西に沈むと答えると,そうか東から西なのかと感心しているみたい。
一瞬,ここは南半球だから逆?‥‥なんて考えてしまいましたが,そんなわけないですよね。
でも,こちらでは南風と聞くと寒いのを想像して,北風は暖かいことなので。

リマも戻ってきてからは一日中曇り空で,太陽が顔を出さない。曇っているのか,スモッグ
なのか,わからない。それに周りはビルなので,太陽の通るコースがわからない,てことは
ないですよね。


なかなかベテルにたどりつかない。ここでしょうと連れて来られたところには石造りの巨大な
十字架がある建物。

だからテステゴスデヘホバだと言っているでしょ。普通の建物なのですが。

途中の人たちにベテルはどこか知らないかと,聞いて回ってくれてますが,「ベテル」として
知られているかどうかは,すみませんが知りません。

とうとう近くにいたパトカーに聞いたところ,パトカーがかなり近くまで先導してくれました。
グラシアス!


そしてやっとその先に,ありました支部の建物の門が。やはりペルーなので
しっかりした塀と門です。中が外からはよく見えません。


良かったと言って,20ソレス札を渡すしてお釣りを待っていると,知らないふりをしているみたい。
15ですよね、と言うと,どうやらあっちこっち行ったんだから20にしてくれみたいなことを,
言っているみたい。
それはそうですが,それはそちらの問題だからね。15ですよねともう一度強く言うと。
わかったとお釣りをよこすが,3ソルしかない。2ソルはチップでみたいな感じ。

ダメですよ。SiはSiですからと言って,それを戻して5ソル硬貨をもらいました。
パンフレットを読んでくださいねと渡してチャオ。


門番の姉妹に門を開けていただき,建物の玄関を開けて中に入り,
ロビーの受付の姉妹に11時の午前最後の見学ツアーに申込む。

英語のほうがいいですかと聞かれたので,可能であればその方がいいですと
言うと,少し待った後に,セサル兄弟(シーザーですよね。)が来てくれました。

兄弟はアルゼンチン人で,手話部門で働いてるとのこと,英語はあまり話せないのですが,
と言いながら,わかりやすい英語で案内してくれました。

160名ぐらいが奉仕しているとのことでしたが,結構大きな敷地で建物も大きかったです。
そして,どこの支部もそうですが,とてもきれいに維持されていて気持ちがいいです。
働いてる兄弟姉妹たちも笑顔で迎えてくれて,うれしかったです。

見学の途中で,このベテルに長年いる年配の日本人の姉妹にお会いしました。
ご夫婦とも,沖縄出身の両親を持つ日系2世だそうで,「こんにちは」とあいさつしてくれました。
でもすぐその後「日本語はほとんど話せません」とおっしゃってました。
(あっ,名前聞くの忘れました)

      ベテルの詳しい内容は,年鑑をご覧ください。

1時間があっという間で,午前の奉仕終了のチャイムがなってしまいました。
あれ? チャイム鳴らさなくしたんじゃなかったでしたっけ? まあいいか。

兄弟とばがり話していて,写真をとるのを忘れました。



帰りは,時間的に少し余裕があったので,少し歩いて大通りまで歩いて,コレクティーボを
つかまえて,なんとか無事ホテルの近くまで戻ってこれました。
なんと料金1ソルでした。少し歩いたとはいえタクシー代の15分の1とは。

バスの中から。フロントガラスになぜか。前のバスのガラスにも。


歩いている時に,アメリカ大使館の前を通ったので,写真を撮ろうとしたところ,警備の人に
怒られ、止められました。やっぱりダメだったか。それにしてもなんでこんなに大きいのと
思うぐらいの建物でした。東京のはそんなに大きくなかったような気が。

2013年8月10日土曜日

ペルー リマに戻って来ました

久しぶりの更新になってしまいました。

心配をかけました。 元気です。

それぞれ大会など霊的活動に忙しかったと思いますので
誰も気にしていなかったかもしれませんが。



8/4の12時ちょうど出発のブエノスアイレスーリマのバスに乗ってました。
ダイレクト便です。75時間,ほとんどノンストップです。
実際は78時間ぐらいかかりました。3日と6時間です。

このバス移動については,詳しくは,また(間に合えば)別に書きたいと思います。


そんな訳で,インターネットに接続できずに箱の中で過ごしていました。
さすがに長かったですね。

そのバスに乗る日の朝に,ウルグアイのモンテビデオからの夜行バスが
ブエノスアイレスに到着したので,その8時間を加えると86時間連続で
バスに乗っていたことになります。(そんなにバスが好きだったのかって)


そんなこんなで,現在はリマにいます。ふりだしにに戻って来ました。
ここからエクアドルに少し足をのばしたかったのですが,そうするとまた
バスの往復だけで終わってしまいそうなので,あきらめました。


ベッドでゆっくり寝たかったので,着いたバスターミナルの近くで
ホテルを探したのですが,当初の予定では,日が明るいうちに着くはずが
すっかり日が暮れた時間になっていて,しかも周りが日本の夜のように
明るくなく,看板も大きく目立つものはなく,少し時間がかかってしまいました。

重いバックを背負って歩くのが,いやだったので,バス会社の待合室に,そっと(?)
置いて,外を歩いていて,やっとホテルを決めて荷物を取りに,戻ってみると,
バックパックはあったのですが,その前に険しい顔をしたガードマンのおじさんが
立ってました。

「これはおまえの荷物なのか。どこへ行ってたんだ。絶対目を離してはダメだ。
わかったか。」

のような意味のことを言って(おそらく),怒られました。

すみません,すみません。とあやまりました。

まわりのペルー人のセニョリータたちがそれを見て,クスクス笑っていました。

でも荷物が無事で良かった。そういえばこの同じ待合室で1ヶ月半ぐらい前に,アレキパ行きの
バスを待っている時に,同じことして,同じように怒られたことを思い出しました。
それも妙に懐かしい。

ホテルに入って,久しぶりにシャワーを浴びて,久しぶりに水平に寝ました。
顔はウェットティッシュで,こまめに拭いていたのですが,洗っていたら
垢がボロボロでてびっくりしました~。子供の時のことを思い出しました。

そのホテルでは部屋からネットに接続できなかったので,次の日に,明るい中で
もう一度ホテル探しをして,今別のこのホテルにいます。

リマにいるのもあと2日ほどになってしまいました。

2013年8月3日土曜日

両替,換金について

国が変われば通貨が変わる。

当たり前なのですが,これが意外と時間と気力を奪ったりします。
考えだすとキリがない。かといって全く気にしないで,というわけにもいかない。


自分としては
数年前から,現地のATMで,クレジットカードで,少額を現地通貨でキャッシングする。
そして,クレジットカードが使える,ホテル,お店はすべてカード支払いする。

これが最善と考えています。



アメリカなどの先進国だと,カードが使えないのは市バスとチップぐらいで,
コンビニからファーストフードから,大会の寄付まであらゆるものがカードで払えます。


でも南米だとそうもいきません。キャッシュ(現金)が必要です。
またペルーやボリビアですとクレジットカードは使えるけど,使うと何%かの手数料が
かかるので,キャッシュのほうが得という,秋葉原(?)みたいなホテルも多いです。

それでATMでキャッシングするのですが,これは通常のカード支払いではなく,
「はじめてのアコム」のようにお金を借りることになるので,次の月ごとの決済日までの
あいだの利子が,かかります。
またクレジットカード独自の為替レートが適用されます。またクレジットカード会社が
手数料を取る場合もあります。

それでも他の方法,例えば旅行前に会津の銀行で,あるいは空港内で現金で両替する
場合よりはずっと率がいいです。それにおそらく南米の通貨はないのではないでしょうか。
そうなると,ドルかユーロに両替して,それをまた現地でその国の通貨に換金すると二重の
手数料がかかることになり,かなり損です。


ただ国によっては,パラグアイのようにATMを設置している銀行側が手数料をとる
場合もあります。(一回につき約600円)金額に関係なく,回数なので,そうなると
一回に多額をおろしたほうが得なのですが,そうかといって多額を持ち歩くのはリスクが
高くなりますし,使い切らない可能性もでてくるし,で結構悩みます。



短期間で次々に国を移動すると,引越し貧乏ならず為替貧乏になっていきます。

今回パラグアイのエンカルナシオンで,約1万円相当のグアラニーをATMでキャッシング。
もちろん先ほどの600円の手数料がかかりました。かなり残ったのでブエノスアイレスに
移動前に,バスターミナルの両替商でアルゼンチン・ペソに換金。
ブエノスアイレスでは,ホテルもウルグアイ行きのバスチケットもカード支払いしてるので,
キャッシュが残り,モンテビデオ到着後に銀行で,ウルグアイペソに換金。


この国はいわゆる個人両替商が存在しないので,銀行で両替することになるのですが,
何軒か店頭に出ているレートを見ていると,かなり違います。アルゼンチン・ペソから
ウルグアイ・ペソだけを見ていると,1.75~2.15も銀行によって幅があります。
100アルゼンチン・ペソが,ある銀行では175ペソになり,他の銀行だと215ペソになるわけで
40ペソも違うわけで,こんなに違いがあると,歩きまわることになり,それはそれで時間が
かかることになりました。もちろん2.15の銀行で両替したことは言うまでもありません。

それでも,明日になって,レートがもっと良くなっているのを見て,あるいは
もっと別の銀行に遭遇して,ああ失敗したな,なんて思うのかもしれませんが。
(これはヨークよりベスタの方が安かったのかと,思うのと同じように)



それで今回は,先見の明がなく,パラグアイで引き出したお金がかなり余ってしまい
その後の国のATMでの、現地通貨引き出しをすることなく,
円→グアラニー→アルゼンチンペソ→ウルグアイペソと両替を何度も繰り返しているので,
正確には計算していませんが,最初の金額の半額ぐらいになっているような気がします。

そういう経緯のお金で,食事をしたり買い物をするわけなので,1ペソ=5円とレートは
なっていますが,マイレートだと1ペソ=10円ぐらいかも。そう考えると たか~い です。

近い国の通貨は大体の店で使えたりしますが,それを便利と見る向きもありますが,
その店はもちろん損をしないようにレートを独自で設定しているわけで,いわば両替を
しているので,それが銀行や両替商よりよいレートのことは,ありえません。



ここでまたウルグアイ・ペソが余ると,それをまた,他の通貨に換金することにわけで、
そうなるとまた目減りすることになるわけで‥‥。
そんなことばかりを考えてると,今度は旅を楽しめなくなってしまうわけでして,はい。

ウルグアイはアルゼンチンより物価が高かった  

ホテルにで為替レートを確認。1ウルグアイ・ペソ=4.8円なので約5円。

レストランの看板を見ると,一番安セットメニューで200ペソぐらいで,400ぐらいのメニュー
も多い。マックの新しい(?)ハンバーガーの看板があちこちにありましたが,単品で69ペソ。
日本での100円メニュー(今は120円でしたっけ)のようなものもありましたが,
45ペソでしたから、200円超えてますね。

スーパーに入りましたが,すべてが高い感じでした。お酒も安くないです。
お菓子,飲み物類もみな高いです。肉は見なかったのでわかりませんが,安いのかも。

アルゼンチンと変わらないとの情報もネット上にはありましたが,こっちのほうが高いです。
ブラジルよりは安いと,言われているようですが,ブラジルから旅行で来た人のブログ等を
見ると,ブラジルより高いと買いてありました。やっぱりそうだったのか。

高い,高いと書いてばかりですが,おそらく東京などの都心で,いわゆる普通の生活を
している人々から見れば,同じくらいか,それでもまだ安く感じるのかもしれません。
(何年も前に,同じ会衆の姉妹が銀座にあるホテルのロビーで飲んだコーヒーが,
1杯1,500円したのよ,と言っていたのを思い出しました。)

会津の田舎にいて,幸楽苑では中華そば,マックでは100円(120円)マック,
ほっともっとでは,のり弁しか食べない者にとっては,居心地がよくありません。

この旅行のコースも,ペルー,ボリビア,パラグアイときて,アルゼンチン,ウルグアイ
なので印象が,そういうふうになってしまいますね。



そういえばパラグアイも10年ぐらい前は,日本の4分の1か5分の1ぐらいの物価だったみたいです。
インフレなのか,為替レートが要因なのか。

ウルグアイもそうなのでしょうか。見た感じ,物価にあった経済的発展をしてるようには
思えません。古いの大切にしていると,物の本には書いてありましたが,メンテナンスも
してない建物も多く,崩れかけも結構多いです。今日泊まっているこのホテルもまた然り。



宿泊している部屋のベランダから見た通り

町中を歩くと,古い重厚な建物が多くありますが,わたしが一番印象を受けたのが,このビル。
窓に連なるのは,エアコンの室外機。お見事!
予想しますに。建物は古く,できた時はエアコンのない時代。夏は暑い。エアコンが普及。
取り付ける場所がない。その結果このような芸術的なものになってしまったと。

おまけにドレン(排水)がそのままらしく,水がそのまま通りに落ちるしくみ(?)です。

このビルだけでなく,いたるところどのビルにもこの風景が。残念を通り越して新たな景色に
見えてしまいます。香港の洗濯竿みたいな。
独立広場の向かいにある建物


独立広場(公園)は1番の名所で,ガイドブック等に写真が載っていることも多く,もし
それが正面からのものであれば,後ろにこのビルが写っているはずです。(笑)


ウルグアイ到着

夜行バスで,ブエノスアイレスから陸路で約8時間ウルグアイ到着。
今回は,プルマンというバスで,クラスはカマにしました。ちょっとだけ座席が良くなりましたが,
リクライニングの角度は,期待していたほどではありませんでした。

かなり空いてました。

ウルグアイのモンテビデオは,ブエノスアイレスのラプラタ川の反対側の方に位置し,
高速フェリーだと,1時間で行けるのですが,料金が飛行機並みに高いので,いつものように
バスにしました。バス料金も結構しました。

ラプラタ川河口があまりにも幅が広く,橋がないため,ずっと上流の橋があるところまで,
川沿いの道を上り,橋のところに入国管理局があるので,そこからウルグアイに入り、
今度は川沿いを,下がってくることになります。
地図上でイメージすると,逆V字型と言いましょうか。やはり横切りたくなりますよね。

しかも国境がちょうど距離半ばとなるので,夜中の3時に一度起こされて,管理事務所で
手続きすることになりました。両国管理官が机を並べているので,それは便利でした。

ウルグアイ入国のスタンプを押されるとき,「スペイン語がわかるのか?」
ときかれたので,「ワカラナイ」と一つ覚えのスペイン語で答えました。
90日の許可をいただきました。2日間しかいない予定ですが。

朝7時過ぎに,予定通りバスターミナルに到着。
大きくはありませんが,新しいのかこの旅で一番きれいな空港のようなターミナルでした。

かなり見づらい構図になってしまいました。重くて寒かったため。



物売りも,物乞いもいません。トイレもきれで,無料ですし,石鹸もペーパーもあります!

ホテルのあるセントロまでは,かなりの距離があるので,市バスに乗ります。

バス停。町並みもこの辺りはきれい

バス停の前にあったパン屋,ケーキ屋さん
まだいくらなのか計算できない。ウルグアイ・ペソもあまりない。
朝なので食欲もあまりない。

2013年8月2日金曜日

ブエノスアイレス脱出?

もともと大都市は好きではありませんが,ここもあまり居心地がよくありません。

ホテルをお昼に出た後,まっすぐ小雨降る中,バスターミナルに来てしまいましたが,
バスの出発時間は,23:00で時間がたっぷりあるというか余ってます。

昨日の時点では,乗り降り自由の観光コースバスの1日券があることがわかったので,
人並みに(?)名所巡りでも,しようと思いましたが,その券が3,000円ぐらいすると聞いて
やめました。

どっちにしても午後には雨がかなり降っていたので,展望バスで観光する陽気では
なかったです。

雨の中歩くのも嫌だったので,ターミナルの中を行ったり来たり,しました。
待合室に置きっぱなしのバックパックも,気になるので,時々その場所に,戻ったりしては
またブラブラ。

本を読んではうとうとし、またターミナルの中に入っている店をのぞいたり。


わかったことは,ものが高いし,日本と比べて良い物は何もない、ということぐらいです。
他の国と比べて,きれいには展示してあったりしますが,売られてる商品は,どの店でも
同じというのは,他の南米諸国と同じです。買いたいと思わせるものがないです。
食物も安くないのは困ります。


WiFiも使えないので,今(夜9時)少し外に出たところにあるレストラン(食堂といったほうが
いいと思います)に,WiFiのサインがあったので,入ってつなげてます。

ハンバーガーとフライドポテトにサイダーがついて45ペソなので800円ぐらい。
高いですし,パンは冷たいし,フライドポテトは油でベチョベチョだし。残念です。
昼に出店で食べたパンチョ(ホットドッグ)のほうが6ペソで,おいしかったです。

ネット代だと思い,あきらめます。


ブエノスアイレスに着く前は,「エビータ」の中でマドンナが歌う,「ブエノスアイレス」の
メロディーが流れましたが,希望に夢膨らむ感じではありません。
大都市はどこも病んでいる感じがします。

街中のひとは,かなりの人がタバコを吸っています。特に女の人が目立ちます。
カフェテリアの席でも,タバコを吸っている人が多いです。

確かに,道路は広いですし,黒い煙を吐きながら走るオンボロバスはないので、
ペルーやボリビアとより空気は汚れていませんが,ブエノスアイレス(良い空気の意味)
とはいえませんね。


今いる食堂とバスターミナルの間に通路があり,その奥が悪名高いスラム街になっています。
夜だと明かりが少なく,奥の方は全然見えません。わたしからみると,ただ貧しい人たちが
住んでいるだけで,犯罪が多いという風には感じませんが。
もちろんむやみに入って行ったりはしません。

だんだんこの店も,店じまいのようです。
アルゼンチンはチップの習慣があるようですが,満足しなかったので渡さないことにします。

2013年7月31日水曜日

ブエノスアイレス到着

16時間の予定が1時間少し遅れで無事到着。

夕方6時30分,予定より15分前にエンカルナシオンのバスターミナルを出発したのは
良かったのですが,10分ほどで,パラグアイの出国事務所に到着。
ここは乗務員がIDをまとめて,申請を代行。

それはバスを降りずに待ってればよいので,楽なのですが,事務所前に駐車してから,
集め始め,申請が終わってから,IDをそれぞれに返すために,大きな声で名前を読んで
その人に渡すのですが,座席順にまとめてないため時間がかかります。
バスは2階建てなので,上がったり下がったりですごく時間がかかってます。

やっと終わって,国境の橋を渡った先で,今度はアルゼンチンの入国管理局。
さすがに,ここは全員降りて,自分の荷物を全部持って審査。
X線チェックだけで,あっさり通過。
ただ何人かは,全荷物審査になっているみたいで,かなり待ちました。

そしてここでもIDが後から,乗務員から返される同じ方式だったので,また同じくらい
時間がかかります。

ボリビアからアルゼンチンに行った時のバスは,乗務員が出発と同時に,IDを座席順に
集め,すごいスムーズだったのを,思い出します。

手続きが終わって,スムーズに走りだしたと思ったら,サービスエリアのようなところに停車。
どうしたのかなと思ったら,全員降りて,レストランで集団で食事でした。
食事込みとは聞いていたのですが,まさか降りて,レストランでするとは。

ワインやビールもでて,鶏肉もおいしかったので良かったのですが,知らない人同士が
相席になるわけで,気恥かしい雰囲気でした。お酒も入ってそのうち打ち解けるのですが。
向かいの席のおばさんに,デザートいただきました。(プリンだとは思うのですが,
少し残念な味でしたが,有りがたくいただきました。)

そんなこんなで,そこを出発したのは9時半頃になってました。
日本なら2,3時間は縮められそうですが,そうしないところが南米なのでしょうかね。

バス乗車中わからないことが多かったのですが,隣の席のパラグアイ人の若者が,
いろいろ面倒をみてくれました。ガムももらいました。ありがとう。


バスの2階席一番前から撮影 朝です

ブエノスアイレスが近づくと片側5車線の道路




12時過ぎに,治安上悪評高いバスターミナルに到着。
確かに廃れている感じですが,悪い人には幸い会いませんでした。
歩けそうな距離に思えたので,ホテルのあるセントロまで,久しぶりにバックパッカーになりました。

ブエノスアイレスは,大きな町です。
アスンシオン以来なので,久しぶりに都市に来た感じです。自然と上を見上げながら歩きます。

 


マックもバーガーキングもサブウエイもカルフールもあります。


人の数も圧倒的に多いです。しかも白人の大きな人ばかりです。
色黒の小さな可愛らしい人は,いなくなりました。
鼻も背も高い,さっそうとした人ばかりです。


ここは南米のパリと称されますが,第1印象は確かにそう感じました。
ま,パリの記憶がかなり薄くなっているので,比較はできませんが,荘厳な造りの建物が
多く,そう感じさせます。

でも実際近くを歩くと,歩道はデコボコだし,穴は空いてるし,そこら中工事中だし,
今まで見てきた南米の他の都市とさほど変わらないような気もします。

町を歩いている時に,4,5人のテステゴスを見かけました。タイミング悪く声は
かけられませんでしたが,こんな観光地の中心でも奉仕しているのを見て励まされました。

この旅3回めのアルゼンチン入りです。
最初はボリビアからパラグアイに入るためだけの通過として。2回目は,イグアスの滝を
見るために,日帰りで入国そして出国でした。
いずれもわずかな滞在時間だったので,泊まるのは今回が初めてです。

2013年7月30日火曜日

アディオス パラグアイ!

楽しかったパラグアイとも,いよいよお別れです。

今日の夕方のバスで,アルゼンチンのブエノスアイレスを目指します。

ホテルをチェックアウトした後,再び町をブラブラ。気温が上がり30度を超えています。
(公園の電光表示なので,どこまで正確かはわかりませんが,体感的にもやはり
そうだと思います。ただ隣の日付の電光表示は,7/25になってますので,なんとも)

道端で,チパを買い,食べながら歩く。お腹が空いているとおいしいです。
今朝は何も食べてなかったので。

いろんな形があるが,これはたまご型


少年が近づいてきて,靴磨きはどうですか というのでお願いしました。
もともとくたびれていた愛用のデッキシューズが,よごれていただけでなく,
はげてきていたので。

本当はベテランのおじさんに,磨いてもらいたかったのですが,この町の靴磨きは
どうやら少年ばかりみたいで。

手際よく磨いてくれました。50円くらいです。

少年に年を聞くと,14歳とのこと。たくましい。

申し訳ありませんが,上から撮影


適当な食堂が見つからなかったので,(本当に食べるところがない)ガソリンスタンドの
小さな店に入り,コロッケみたいの(なんて言ったのか忘れました)とカフェを
とりながら書いてます。WiFiが使えます。



カフェを出す店が,ほとんどないので貴重な存在です。味と量と値段は納得できませんが。
自前のマテ以外は,お店ではコーラ類かビールを飲んでいるようです。

ペルーやボリビアでたくさんあった定食屋みたいの店が,全くといっていいほどありません。
食堂があっても,ミネロッサ(カツサンドみたいな)かハンバーガーかただ鳥をそのまま
グリルしたものぐらいしかなかったりします。いわゆる料理といえるものがありません。


よって食にうるさくない自分でも,もう少しなにかないのかなあ,と思ってしまいます。

兄たちのところにいた時は,エルマナ マルガリータの現地の食材を活かした,和風,韓国風,
中華風,そしてパラグアイのおいしい食事をさせてもらいました。またもう1組の夫妻が
招待してくれた際のカレーも,とてもおいしかったです。
また,その夫婦に別の時にごちそうになった,町のレストランで食べた,鳥と豚肉は両方共
おいしかったです、(ただグリルしただけの料理?ですが)

シウダデルエステで食べた,チーファの水餃子とチャーハンもおいしかった。次の日に食べた
ロミトもおいしかった。



ですが,ほとんどが純粋なパラグアイ料理ではありません。

やはり外食が普通ではないのでしょうか。夕食を外で食べることはないようです。それで
店も5時には閉まります。日曜はほとんど店が,休みです。



健全といえば健全ですかね。旅行者には少しきついですが。
きっと昔の日本もこんな感じだったのではないでしょうか。

出発前のバスターミナルで,チパ カリエンテ(あったかい)と売りに来たので,
グアラニーのコイン消費のために,1つ買って食べてみたら,これがすごくおいしかったです。
あったかいし,中がもちもちして。

これなら,お腹いっぱいでも,食べたくなる味です。
もっと早くに出会いたかったです。



アルゼンチンも,おそらく肉しかないかも。パンは期待できるでしょうか。

2013年7月29日月曜日

パラグアイの物価やその他について いろいろ

ペルーやボリビアと比べるとパラグアイの物価は安いとは思いません。

ただ日本と比べると安いものもあります。


例えばパンは安いです。でも米は同じか高いぐらいです。「日本米」はすごく高いです。
日本からの輸入ではなく,日本人移住地で生産されているもの。
(お米はアルゼンチン米が,日本米に味も食感もにてておいいしいですが,パンは全滅,
ケーキ類は手を出したら必ず後悔する味です。)

野菜や果物は,同じくらいします。アボガドやグレープフルーツやパパイヤなどは,
すごく安いか,売られてないので,拾うかもらう(笑)

玉子と牛乳も同じくらいします。(これは日本の企業努力ですかね)

お菓子類は,同じか少しだけ安いですが,おいしいものにはなかなかめぐりあいませんし,
種類が非常に限られてます。


一方日本では高い,バターやハチミツ,肉類などは安いです。

日常品はみな日本の100円ショップに大きく負けてます。服もユニクロに大幅に遅れを取ってます。

ガソリンも少しだけ安いくらいです。

お酒はビール,ワインとも半値近く安いです。(税金の関係で日本は高い?)


アパート代や電気,水道代は,日本の4分の1ぐらいでしょうか。
ここがいいところですが,それはラコルメナのような田舎のことです。
でもホテル代は,日本とそんなに変わりないです。(特にパラグアイ,これは非常に残念)


携帯やインターネット接続は日本と大差ない料金がかかります。
携帯はプリペイドでこまめに,近くの扱っている店で1回に少額だけ入れてもらうシステムです。

コレくティボと呼ばれるバスは安いです。市内であればどこへでも60円ぐらいで移動できます。
ボロボロですが。



こんな感じですが,聞くところによると,建設業での日当は1000円ぐらいだそうなので,
生活は厳しいのではないでしょうか。

国保のような制度はなく,企業や役所に長年勤めるとそのような保険がつくらしいですが,
普通の人が病気になると,高い薬を買うことになります。
薬屋が町のいたるところにあります。

人々は朝から晩まで,一日中マテ茶を飲んでいます。
野菜をあまり食べず,マンディオカと肉しか食べてなくても,元気でいられれのは,
マテ茶のおかげで,これが健康の秘訣らしい。マテ茶は基本草なので安い。


コーヒーは基本インスタントで,レギュラーコーヒーは安くないですし,おいしくないです。


もちろんお金持ちはどこにもいて,大きな綺麗な家と高級車を持っています。

リモコン開閉ガレージの家

王国の歌

旅行中,集会にでて思うことのひとつは,賛美の歌声がなんというか すごいです。

大きな声で歌っているのですが,メロディーが微妙にというかかなり外れてます。
特に高音が苦手のようです。低いところから一気に上る音は,まず無理です。
独自の低い音で歌っています。和音に,はまって調和よく聞こえることもなくはないですが。

なぜこうなのかに関しては,子供の時に学校で「音楽」という授業がないことが大きな要因のようです。

イアホンで音楽を聞いている(おそらく)若者たちを多く見ますし,バスやタクシーの中では
たいていFMの音楽が流しっぱなしです。

また,車に大きなスピーカーを積んで後ろのハッチバックやトランクを開け,大音量で町中を
走って行く車も時々あります。(住民へのサービス?)

なので,音楽がきらいというわけではない,と思います。

そうなるとやはり「歌う」ということに慣れてないことが原因でしょうか?
でも普通気に入った曲が耳に入ると,自然と口ずさみますよね。そうしないのかな。

でも確かに,ラジオの曲も町中で聞こえる曲も,メロディーよりもリズム中心の曲のようですが。

また歌う練習だけでなく,リコーダーやハーモニカやピアニカみたいな楽器を使うことも
ないんでしょうね。

それにカラオケ文化もないので,その影響もあるでしょう。



とにかく王国会館では,何度も笑ってしまいます。

さてこれがタンゴの国アルゼンチンやウルグアイでもそうなのか,サンバの国ブラジルでも
そうなのかはわかりません。でもタンゴもサンバも,メロディーではなくリズムなので,
もしかしたら同じでしょうか。

謎は深まるばかりです。

日曜日の集会

王国会館まで歩いて5分ぐらいでした。




日本語のグループもあり,月1回このサロンを使用しているようですが,今日は違うようで
少し郊外の場所での集会のようなので,8:30からの地元のスペイン語に出席しました。
やはりこの時間帯が南米の標準なんですね。

3つで使用していて,ひとつは手話会衆のようです。

出席した会衆は成員約80名の会衆で長老3人だそうです。その3人は,ウクライナ人,フランス人と
やはり外国人(どこだかは忘れました),ものみの塔の朗読をしたのはアルゼンチンの兄弟でした。

このことを話してくれたのは,パラグアイ人のおじさん兄弟で,

「パラグアイ人はダメなんですよー」(わたしの意訳)と親指を下げながら言ってました。

そんなことはないです。 ガンバレ! パラグアイ!


そういえば集会後にあちらから近づいて来たのは,みなアルゼンチン出身の方でした。


でも,エンカルナシオンとその近郊には,手話,日本語を入れて7つの会衆があるようなので,
パラグアイ全体の比率からするとかなり証人の数は多いのではないでしょうか。

2013年7月28日日曜日

公の奉仕 と 散髪

午後に散髪屋を探していたら(ラコルメナで行きそびれて伸びたままだったので),
道の反対側にスカートを履いた女性を発見。
(この国でスカートはとても珍しい。ジーンズかスパッツみたいかのどちらかしか見ません)

よく見ると,出版物のカート型スタンド。
そう,今週奉仕会で扱われた,公の奉仕の最中でした。

怪しい身なりの異国人が近づいて(?)も,笑顔で歓迎してくれました。
始めて2週間目だそうです。
中央公園のようなとことで2台の展示カートを使って5人ぐらいで奉仕してました。

この市は10万人ぐらいの町なので,若松ぐらいですが,アルゼンチンとの国境の町でもあり
移民の町も近くにある関係で,日本,韓国,中国,ドイツ,ウクライナ人なども
多く訪れるそうです。

わたしがその場にいる間は,誰も近づいては来ませんでしたが,良い結果を期待します。


その場にいた兄弟に散髪屋を聞いたところ,姉妹が働いている美容院があるということで
そこを探して,入りました。
きれいなお店で,4人の美容師の方がいましたが,後で聞いてわかったことですが
全員姉妹でした。客席に不機嫌そうに座っていた女の人も,実は姉妹でした。

1階右下が美容院


今晩は巡回訪問中で,集会(通常日曜の)があるので忙しい中でしたが,パラグアイ風に
散髪してくれました。

いつも自分で散髪するので,お店で(しかも美容院で)散髪してもらったのは、10年以上前に
マレーシアで入った美容院以来です。

これで帰国まで大丈夫でしょう。気分はパラグアージョです。

世界遺産-トリニダ遺跡

この町では特別見るところはないようなので,昨日バスで通ってきた道を40分ぐらい戻った
ところにあるトリニダ遺跡に行きました。

バスが通る6号線から500mぐらいで着くようなので。歩いていけそうです。

バスターミナルに適当な時間に行ったら,トリニダを通るのはこのバスだと,おじさんが
言うので信用してそのバスに乗車。町の(ほんとうに小さい,道沿いはお店が
4軒ぐらいしか無い)地名はトリニダで間違いないのですが,バスの乗務員や地元の人は
「ルイナス」かと何度も聞きなおす。英語から推察して「廃墟」かと思い,遺跡と同じと
変に納得して降りる。

歩いて10分ぐらいで遺跡に到着。説明のビデオ(観客はわたし1人)を見てから自由に見学。
天気も良かったので,とても良かったです。

教会跡

グアラニーの人々の住居跡


1時間半ほどいましたが,10人ぐらいのバスで来た若者たちと数人の観光客だけとしか
会いませんでした。

世界遺産なのに 残念。 ガンバレ パラグアイ!


昔は入園料が100円ぐらいだったそうですが,今は600円ぐらいになってました。
その代わり,同時にヘスス遺跡とも1う箇所の遺跡の入園ができます。(抱き合わせ)

せっかくなのでヘスス遺跡だけでも見ようかと思ったのですが,この場所から8km
離れていて歩くにはチョット遠い。でもバスはなく。
看板には,タクシーやレンタルバイクがあるように書いてあったが,店は閉まっていて
誰もいない。
向かいのレストランで,尋ねてみましたがわからないとのこと。世界遺産なのに。

あきらめてバスの通る国道まで降りてきて,1軒だけあった食堂で食事。
メニューはなく,何が出るかわからずお願いすると,
パスタのような麺に牛肉が乗ったもので,まあまあおいしかったです。
付け合せのパンはまずかったので、半分残す。(おいしいパンに出会うことは
ないです。チパはパンとおもわなければおいしいと思いますが。)
「世界のヤマザキパン」がなつかしいです。

いつ来るかわからない,帰りのバスが、来たのであわててつかまえて乗車。

無事エンカルナシオンに戻って来ました。

その後バスターミナルでウルグアイ行きの切符を探すが,ないみたい。
あきらめてブエノスアイレス行きに予定を変更。
あまり大都市には寄りたくないのですが,長距離バスは大都市間を走るのが,世の常で,
しかたがありません。

今日,明日とも満席で月曜発のチケットを購入。

川の向こうはアルゼンチンのポサダスで,かなりの都市で,そちらに渡れば,モンテビデオ
行きも,明日のブエノスアイレス行きもあるとは思いますが,あまり寄りたくもなく,
結局,月曜日にしました。

向こうはアルゼンチン ポサダス

国境の橋が見えます


インターネットでの情報だと,最近のブエノスアイレスは,かなり治安が悪いみたいで,
ちょっと嫌ですね。

それに比べ,ここパラグアイのエンカルナシオンは,かなり安全なにおい(?)があります。
またパラグアイの中では,明るく人懐っこい感じがあります。


2013年7月27日土曜日

エンカルナシオンに到着

11時出発のローカルバスで,パラグアイのハズレ国境の町エンカルナシオンへ。
各町に停車で遅い遅い。

13時発のバスもあったのですが,少しでも早くと考えて乗りましたが,13時発はディレクトと
言っていたので,もしかしたら到着時間はあまりかわらなかったかも。

日本人移住地のあるピラポの入口にも留まったので,少しだけ様子を見ることができました。

看板に日本語が。小さいので見えるでしょうか?


道中の車窓の景色は,広大な牧草地か畑が延々と広がっていて,ずっと北海道のような
感じでした。(あくまでイメージです)



バスが停まったある町の道沿いの店

遠くの黄色い色は,おそらく菜の花かと。



でも道沿いには,貧しい家もあってやはり貧富の差が大きいのかなと思いました。

6時間でエンカルナシオンに到着。

小さな町のようで,ホテルは数件あるだけで,周りの店も皆店じまいを始めてます。

最初のホテルはきれいでしたが,高すぎたので,別のホテルを探し,このホテルに投宿。
奥さんは日本人の模様。ロビーには詩篇100編が貼られており,ヘオバの文字もあり。
用があって,キッチンに行ったら,ご主人が聖書を声を出して読んでいました。
見えませんでしたが,奥には奥さんがいた模様。家族研究でしょうか。それとも日課なのでしょうか。
エバンヘリコ(プロテスタント)かと思います。

部屋には,この旅初めてのNuevo Testamentoが置いてありました。
プラスSalmos(詩篇)で,その中にはJehova(aにアクセントマークあり)の文字もあり。

自分も旅行中でも聖書通読を続けないとと,気を引き締められました。


2013年7月26日金曜日

後半の旅の始まり

楽しく霊的に充実したラコルメナでの生活を終え,シウダデルエステに来ています。

兄夫婦と一緒に2泊3日で,イグアスの滝を見に来ました。
滝はブラジル側とアルゼンチン側とがあるのですが,ブラジルは基本的にビザがないと
いけないので,アルゼンチン側に行きました。

おそらくアルゼンチンのホテルは高いと踏んで,パラグアイのシウダデルエステに
ホテルをとって,そこから日帰りで出かけました。(そんなに安くもなかったので,正解
だったかどうかはわかりません。)

最初に比較的安い古いホテルに決めて泊まったのですが,いざ寝る前にシャワーを
浴びようとしたらお湯が出なーい。

夕食前にこの宿に決めた時には,部屋を見せてもらいお湯が出ることを確認したのに。
何で?

レセプションで確かめると,お湯の配管が今壊れたので今晩はお湯は出ないとのこと。
ここのところラコルメナも寒い日が続いていたので,熱いシャワーを楽しみにしていたのに。
朝までには直すとのことでしたが,それも怪しいし,何より寒いまま寝るのは
ガマンできない,(部屋には暖房はありません。もちろん?)ということで,
このホテルを急遽キャンセル。

荷物を再びまとめ夜の町へさまよう3人の日本人。

ようやくこの少し高めのホテルに落ち着きました。
部屋は広いのですが,暖房はやはりありません。
でもお湯は出たのでとりあえずよかったです。


 
ホテルの朝食
 
 
ホテルの近くのレストランでのロミト(?)アラべ


3日目にバスターミナルに兄たちを見送りに。また任命地のラコルメナに戻って行きました。
本当にお世話になりました。一緒に戻ってもっといていいよと言われましたが,
そういうわけにもいかないので,別れを告げ,またはじめの一人旅に戻りました。

ラコルメナも兄夫婦の家もとても居心地がよく,すっかり落ち着いた生活になっていたので
また新たに旅が始まった感じです。ちょっとエネルギーが必要です。

さて,どうやってペルーまで戻るか考慮中です。

パラグアイの役人

イグアスの滝へ行くために,パラグアイの出入国事務所でスタンプを押してもらい
そのブラジルとの国境の橋のたもとで,アルゼンチン行きのバスを待ったのですが
なかなか来ない。
橋の向こうのブラジル行きのバスは,頻繁にとおるのですが。

結局,1時間以上待ちました。

その間ひっきりなしに通る自家用車のうち、ときどき止められている車がありました。

止めているのはイミグレなのか警察なのかはわかりませんが,どうもそのやり取りを
見ていると,なんだかんだ言い分を見つけて,いわゆる賄賂をとっているようでした。
車の中の人が,何か(?)を渡すと,スーとOKみたいになって検問終わりになってました。
そうしない人は,車から降ろされて事務所に連れて行かれてました。

以上は近くで観察したことから想像しただけで,真実はわかりません。


バスの窓からの写真。橋のフレームが入ってしまいました。
この川の下流にイグアスの滝があります。たぶん。

この橋はパラグアイ-ブラジルを結ぶ友情の橋
いつも渋滞なので,歩いて渡る人も多い。


その時とは別にタクシーに乗っている時,警察に止められて,乗客のわたしだけが
身分証明から手荷物全部出して調べられました。
目的がわからず。何にも取られませんでしたが,財布の中身まで調べられた時は
これはまずいことになったと、一瞬思いましたが,大丈夫でした。


夜にもう1回検問がありましたが,前の車が止められた関係で,わたしが乗っていた
タクシーは止められずに通過できました。良かった。

イグアスの滝はすごかった

イグアスの滝は想像以上に迫力がありました。

事前に本やネットの情報で,調べていましたが,今ひとつどうなっているのかわかりにくい。
すごいらしいということは,どれを見てもわかりますが,どんな配置(?)になっているのかを
把握したいのですが,よくわからない。

行って,自分で見て初めてわかりました。
確かにこれをまだ見ていない人に伝えるのは難しいです。

目の前の大きさに加えて,轟音や舞い上がる水しぶきが雨のように降ることなど
やはりこの場に居ないと,感動は伝えにくいです。
体感ですね。

今は15年ぶりに水量が多く,大迫力で,多すぎて一番有名な「悪魔ののどぶえ」
に近づく橋が水の中に入ってしまい通行止めになっていました。
それでそこには行けなかったのですが,その他のコースだけで十分満足でした。

画像は今のところありません。(例のデータ移行不能のため。すみません。)

頭 変?ペルーで拾った帽子。

園内を走るトラム。

帰りが遅くなってしまい,アルゼンチンからパラグアイに帰る最終バスに間に合うかどうか
のきわどい時間になってきました。6時半が最終と10年前のラコルメナで借りてきた
「歩き方」に書いてあったのですが,公園からそのバスが出る,町のバスターミナルまで
45分ぐらいかかるので,5時には出ないと行けないと思っていたのですが,園内の時計を
ふと見ると,なんと6時になっているではありませんか。ポルケ?
実はパラグアイとアルゼンチンは1時間違っていたのでした。
それで急いだものの,万事休す。

ターミナルで他のバスがないかどうか,あるいは10年前とは変わったのではないかと
一途の望みを持って聞いたのですが,最終バスは5時45分とのこと。(どっちみち
間に合いませんでした)他のバスはないことが判明。

荷物はパラグアイのシウダデルエステのホテルに置いてきているので,やはり
戻らないといけません。

高いと予想しますが,タクシーのみ,ということで,料金を聞くと250アルゼンチンペソ
しかたないと,手元の残ったアルゼンチンペソを確認すると,249.5ペソ。
それでお願いして,無事戻って来ました。

アルゼンチン出国,ブラジル国内通過と問題なくスムーズにいったので,そして時間も
はやかったし,疲れていたので,結果的に良かったのかなと思います。



イグアスの滝の写真が間に合わないので,
代わりに今日行ったイタイプダムとモンダウ滝の画像を載せます。
こちらもすごかったです。

イタイプダム。3レーンの中,1レーンだけ放流してました。

モンダウ滝 40mの落差

すごい迫力なのに,おそらく近くにイグアスの滝があるので,ほとんど注目されていない。残念。
すいててよかったですけど。

入園料5000グアラニーなので110円ぐらい。安い!
けど、行くのに公共のバスなどがないため、やむなくタクシーで往復
これが100000グアラニーで,約2,300円ぐらい 高い!

でもすぐ近くで見れるので,迫力満点です。

2013年7月21日日曜日

ラコルメナの日本文化

パラグアイ国内には日本人居住地と呼ばれる町がいくつかありますが、
その中でも,特にこの町は日本人とパラグアイ人がうまく共存しているようです。

日本政府の援助もかなりあり,日本人が敬意を受けている感じがあります。
また日本人のお店は地元の方からもかなり信頼されているようです。


町中にある「田中秀穂写真館」に
入植者たちの初期の様子が,写真で展示してあります。

サボテンの大きさにびっくり,推定樹齢70年(定かではありません)


庭にあった桜の木 花が咲いていました。


当時はかなりの数の日本人がいた様子がわかります。
子どもたちの数も多かったので,運動会や相撲大会の写真がありました。

大人たちも野球のチームがあり大会が開かれていたようです。
ほぼ何もなかった手付かずの土地を開拓して,町にして,その後に
徐々にパラグアイ人が住むようになったのでしょう。

昔は日本の米や綿花も栽培していたようですが,今はありません。



町を築いた偉人の胸像 1

町を築いた偉人の胸像 2

当然,その方々をはじめとする日本人の墓も郊外にあります。








それでも日本の野菜や果物などは栽培されていて,フェアなどで手に入ります。
しばらく前から,毎週土曜の午前中には町の中心の公園で即売会みたいなものが
開かれ,日本人の方が中心になって出店しています。

 


また図書館にはスペイン語,グアラニー語の本とともに日本語の本もあります。
かなり古い本や雑誌が多くあります。 

役所の2階が図書館


逆さまの本がいっぱい。結構直しましたが追いつかないほど。
「永遠に生きる」本があるのわかりますか?


公園が何箇所かに有りますが,必ずすべり台,ブランコ,シーソーがあります。
これって日本式ですよね。
日本では遊具による事故などで,無くなりつつありますが,こちらは大盛況で
最近できた公園は外灯が明るいのも関係してか,あたりが暗くなっても
賑わっています。特にブランコが人気みたいです。